創業者 平井庄兵衛が雑貨商を始め、仙台市にあった一番町店、肴町店、上杉店の3店舗、そして4店舗目として福島店を出店したのが1941年でした。
その年1941年(昭和16年)は第二次世界大戦が勃発した年であり、先行きの見えない不安定な時期でした。そして創業して3年目、福島店でもらい火を受け、全焼してしまうという災難に見舞われました。悲劇はこれにとどまらず翌年の1945年仙台空襲という運命を変える出来事が起こりました。
1945年7月10日みんなが寝静まった真夜中の午前零時。123機のB29が仙台市の上空を飛び13000発の焼夷弾が投下され仙台の中心部は、たちまち火の海となり、街中が焼け野原となりました。仙台駅から西公園が見渡せるほど中心部は焼け野原となり、夜が明けると焼け焦がれた死体が通りに横たわっていたそうです。
店舗も住んでいた家も焼失し、空爆のない福島市に避難しそのまま福島に移り住むようになりました。創業者にとって人生の中で一番苦難の時期でした。
その後、本社を仙台市から福島市に移転、家庭金物の卸・小売りの道を歩みました。戦時中、市民から回収した金属が兵器にかわり戦後、家庭金物は空前の金偏景気を生み出しました。それに加えて復興需要の波に乗り、業績を伸ばすことができ1962年に株式会社ひらいとして会社設立し、陣容を整え、紆余曲折を経ながら今日に至っております。
創業者が誰も知らない福島の地に来て、大切にしてきたのは【人とのつながり】であり、これからも、お一人お一人のお客様への感謝を忘れずに、社員一同、精一杯努力してまいります。今後も、変わらぬご支援をよろしくお願い致します。